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《旅の総括》お土産について【2015欧州3カ国旅行記(40)・終】 [旅行・乗り物]

「《《旅の総括》食事とビールについて【2015欧州3カ国旅行記(39)】」から続きます。

まずは会社などで「配る」ために買ったお菓子。
ヘルシンキで購入しました。
フィンランドのお菓子メーカー、FAZER(ファツェル)社「JULIA」というオレンジジャムを載せチョコレートをかけたビスケットです。
img_Finlandお菓子.jpg
ドイツでも同じようなものを何箱か購入しました。
イギリスで買ったジャッファケーキと同じですね。
イギリスのお土産の話に書いたのですが、かつてロッテが「ジャフィ」という同じようなお菓子を生産していて、よく食べてました。
どうして日本では売られないんでしょうね…。

そしてこちらはドイツとフィンランドで買った自分用のお土産のTシャツ。
左はベルリンのデパートKDW(カーデーヴェー)にあるアンペルマン・ショップ、右はヘルシンキのアアリッカというブランドのお店で買いました。
img_アンペルマン&フィンランドTシャツ.jpg

<追記>
アンペルマンではほかにステッカーやキーホルダーなども購入。
また、ヘルシンキでは最後の最後のマリメッコの店(直営店)に行き、自分用に財布を買いました。
帰国後、愛用・重宝しています。
<追記終わり>



そしてこちらは、お土産ではありませんが、ポーランドで購入したNORTHFACEのウィンドブレーカー。
バングラデシュ製で自分用です。
IMG_2678Northface.JPG
IMG_2679Northface.JPG

9月でしたがかなり寒かったので、クラクフの駅ビルにあるショッピングモール内のNORTHFACEのお店で買いました。
IMG_4014クラクフ駅ビル.JPG
IMG_4011クラクフ駅ビル.jpg

帰国後、結構着ていて、重宝しています。
着るたびにポーランド旅行を思い出してます。


ということで、去年9月前半のポーランド&ドイツ(ベルリン)&フィンランド(ヘルシンキ)旅行記はこれで終わりです。
4カ月かかってようやく完結。
音楽と歴史と鉄道とビールの旅でした。
お付き合いいただきありがとうございました。
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《旅の総括》食事とビールについて【2015欧州3カ国旅行記(39)】 [旅行・乗り物]

「《《旅の総括》難民問題について【2015欧州3カ国旅行記(38)】」から続きます。

今回の旅はポーランド(4泊5日)、ドイツ(3泊4日)、フィンランド(1泊2日)に滞在したわけですが、旅行中の主な食事を振り返ってみます。(写真はすべて再掲)

【ポーランド編】
まず滞在したワルシャワ。
2日目のお昼ごはんが一番「ポーランド料理」っぽかったかもしれません。
ワジェンキ公園でショパンのピアノ曲の野外演奏会を聴いたあと、公園近くのレストランで食べた「ポークカツ」です。
IMG_3881カツレツ.JPG

こちらは、その夜のポーランド風ギョーザ「ピエロギ」
IMG_3895ピエロギ.JPG

《ピエロギ店の看板》
IMG_4075ピエロギ看板.jpg

こちらは"Lionbass"の故郷、ルブリンで食べた”リンゴケーキ”です。
(お昼ごはんはイタリア料理でした。)
IMG_3943りんごケーキ.JPG

その夜、古都クラクフの旧市街広場に面したカフェで食べたパンケーキとピエロギ(ギョーザ)。
IMG_3965餃子&パンケーキ.JPG

こちらは、クラクフのユダヤ人地区にあるレストランで食べたチキン料理です。
IMG_4005昼食チキン.JPG

クラクフから高速列車でワルシャワに戻った際は、時間が遅かったのでテイクアウトのピザ(ピザトースト?)のような軽食で済ませました。
IMG_4038晩ご飯.JPG

【ドイツ編】
ベルリン中央駅で食べたベルリン名物「カリーブルスト」(カレー味ソーセージ)。
IMG_4162カリーブルスト.JPG

「アイスバイン」(ゆでた豚の脚)はホテル近くの老舗レストランでいただきました。
IMG_4204アイスバイン.JPG

「ソニーセンター」にあるレストランで食べたステーキ。
IMG_4251昼食@SONYセンター.JPG

演奏会前は「ノルトゼー」(シーフードのチェーン)で白身魚をいただきました。
IMG_4348夕食魚.JPG

ベルリン最後の朝のウィーン風朝食。
IMG_4358朝食.JPG

ベルリン在住のコントラバス奏者に案内してもらった湖畔のレストランで「ターフェルシュピッツ」(牛肉の煮込み)。
IMG_4384ターフェルシュピッツ.JPG

【フィンランド編】
ヘルシンキの屋台(テント)で食べたシーフード(サーモンなど)の鉄板焼き。
IMG_4442サーモン&ポテト.JPG

フィンランド航空の機内食です。
IMG_4469機内食.JPG
IMG_4472機内食.JPG

【ビール編】
ポーランドは「ティスキエ」「ジヴィエツ」が2大ブランドのようです。
《ティスキエ》
IMG_3893ティスキエビール.jpg

《ジヴィエツ》
IMG_3929ジヴィエツビール.jpg

《ジヴィエツビール(クラクフにて)》
IMG_3964ジヴィエツ.jpg

《ジヴィエツ(ベルリン・ワルシャワ・エクスプレスの食堂車にて)》
IMG_4099.JPG

ドイツはもっとバラエティーに飛んでました。
《エルディンガー》
IMG_4202エルディンガー.jpg

《フランツィスカナー》
IMG_4250白ビール.jpg

《ビットブルガー(「ノルトゼー」にて)》
IMG_4347夕食ビール.jpg

《タイガービール(シンガポールのブランド)》
IMG_4374タイガービール.jpg

《カールスバーグ(デンマークのブランド)フィンランド航空の機内にて》
IMG_4471カールスバーグ.jpg

やはりドイツはビール天国ですね。
チェコも勝るとも劣らない充実ぶりでしたが、ポーランドはそこまでではないようでした。
でも毎日おいしく飲みましたが…。
(つづく)
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《旅の総括》難民問題について【2015欧州3カ国旅行記(38)】 [旅行・乗り物]

「《旅の総括》『フィンランドの歴史』について【2015欧州3カ国旅行記(37)】」から続きます。

今回(去年9月)はポーランドとドイツ(ベルリン)、そして経由地のフィンランドを訪れました。
実は、計画段階では「ポーランド&ベルリン」にするか「ハンガリー&ウィーン」にするか、最後の段階まで迷ってました。
3年前のチェコ(プラハとチェスキークルムロフ)がとても素敵だったので、東欧に行きたいと思い、未訪問のポーランドとハンガリーについて検討した結果、20年以上訪れていなかったベルリンも行きたかったので、「ポーランド&ベルリン」に決めました。
【写真=チェコ南部の世界遺産の町・チェスキークルムロフ(2013.1)】
IMG_2001チェスキークルムロフ景色.JPG

なぜこんな話を書くかというと、「もしハンガリーに行っていたら、(シリアなどからの)難民にもろに遭遇していたから」なんです。
旅行に出たのは去年の9月5日(土曜日)だったのですが、ちょうどその日にドイツのメルケル首相が、ハンガリーのブダペストで足止め状態だった多くの難民の受け入れを表明しました。
その日はポーランド・ワルシャワに到着した日でもあるわけですが、ヨーロッパのニュース番組はこの問題一色。
そして、約9日間の滞在中、ドイツや中央ヨーロッパ諸国にとって大きな問題であり続けました。
それどころか、現在でも大きな問題だし、たぶん歴史上に残る出来事ということになるのでしょう。

【写真=ワルシャワ中央駅】
IMG_3897ワルシャワ中央駅.JPG

ワルシャワ中央駅を何回か利用しましたが、難民の姿はなく、まったく平常でした。
もしブダペストに行っていたら、駅の構内を埋め尽くす難民を目撃していたと思われます。

ブダペストからドイツに向かった難民は、まずはミュンヘンなどドイツ南部に向かったようで、ベルリンでも難民には遭遇しませんでした。
ただベルリンにはもともと、トルコ系やアラブ系の人たちが多いので、街のあちこちで中東出身らしき人たちは目にしましたが…。

そういえば、ポーランド訪問を終え、ベルリンに移動した直後には、ワルシャワで「難民受け入れ反対デモ」が行われていました。
(ポーランド政府は一貫して難民受け入れには消極的なようです。)

普段、旅行では飛行機で移動することが多いわけですが、3年前のチェコ(チェスキークルムロフ)からオーストリア(ウィーン)の移動は運転手付きの車借り上げ、今回のポーランド(ワルシャワ)からドイツ(ベルリン)への移動は鉄道(国際列車)でした。
チェコ→オーストリアでは国境にゲートらしきものがありましたが、車はもちろん素通り。
今回のポーランド→ドイツでも列車はそのまま国境を越え、特にパスポートのチェックなどはありませんでした。

今回の難民問題と、その後に起きたパリでの同時テロ事件を受け、ヨーロッパの「シェンゲン協定」締結国の間でも、国境でのチェックが厳しくなっていると言います。
国境をノーチェックで越えるのも、「昔話」になってしまうのかもしれません。

とことで、まったく話は変わりますが、ポーランドで妙に印象に残っているのは、若い女性のほとんど(おそらく90%以上)がスキニーのジーンズ(ごく一部はそれに類するぴったりのパンツ)をはいていたことです。
しかも、みんな似合っていたというか、カッコよく着こなしていました。
写真を撮るわけにもいかず、「話だけ」なんですが…。

ドイツ(ベルリン)でもスキニージーンズの女性は多かったんですが、ポーランドほどの割合ではありませんでした。
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マエストロ・コバケンの『十八番?』【日フィル1月定期を聴く】 [音楽・楽器]

前の晩にNHK交響楽団を聴いたばかりですが、昨夜は同じサントリーホールで日フィルのの定期演奏会を聴きました。
前夜に続きロシアの作曲家の作品。
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
日本フィルハーモニー交響楽団 第677回 定期演奏会
日時:2016年1月22日(金)午後7時開演
会場:サントリーホール(東京・赤坂)
指揮:小林研一郎(桂冠名誉指揮者)
コンサートマスター:木野雅之(日フィル・ソロコンサートマスター)
曲目:リムスキー=コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」
   ストラヴィンスキー バレエ組曲「春の祭典」
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

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「シェエラザード」は「千夜一夜物語」(アラビアンナイト)を題材にした壮大でエキゾチックな曲。
以前は吹奏楽でもよく演奏されましたが、最近はどうなんでしょう?

マエストロ・コバケンはたびたび演奏していて、いわば「十八番」(おはこ)と言えるのではないでしょうか。

後半は「春の祭典」(通称「ハルサイ」)。
あまりにも「前衛的」なため、103年前(1813年)のパリでの初演の際は、客席が騒然となったそうです。
その複雑なハーモニーやリズムゆえ、かつては「振れる指揮者は世界に数人しかいない」などと言われたとか。
(私自身、2度演奏したことがありますが、ちゃんと弾けていたのかどうか…。)

マエストロ・コバケンは「シェエラザード」「春の祭典」ともに、もちろん暗譜で振っていました。
こちらもまさに「自家薬籠中」ということなんでしょうね。
オケの方も、2曲ともに「一丸となってマエストロ・コバケンの棒に応えている」という感じでした。
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ソヒエフの明快な棒に応えた好演でした【N響1月B定期を聴く】 [音楽・楽器]

2日前にシカゴ交響楽団を聴いたばかりですが、昨夜はN響の1月B定期を聴きに行きました。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
NHK交響楽団第1828回 定期演奏会(Bプログラム)
日時:2016年1月21日(木)午後7時開演
会場:サントリーホール(東京・赤坂)
指揮:トゥガン・ソヒエフ
ピアノ:ルーカス・ゲニューシャス
曲目:グリンカ 歌劇「ルスランとリュドミーラ」序曲
   ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調
   チャイコフスキー バレエ音楽「白鳥の湖」(抜粋)
    序奏
    第1幕より「情景」「ワルツ」
    第2幕より「情景」
    第1幕より「乾杯の踊り」
    第2幕より「小さい白鳥の踊り」「オデットと王子のパ・ダクシオン」
    第3幕より「ハンガリーの踊り」「スペインの踊り」「ナポリの踊り」「マズルカ」
    第4幕より「情景」「情景・終曲」
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

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ロシア人の指揮者とピアニストを迎えて、グリンカ、ラフマニノフ、チャイコフスキーというロシアの作曲家の作品を取り上げた演奏会。

ソヒエフは去年10月のベルリン・ドイツ響の演奏会でも聴きました。

その指揮ぶり(指揮棒は使わず)は、とにかく明快でドライブ感(オケを『動かす』感じ)に満ちあふれていました。

最初の「ルスランとリュドミラ」は、いつも「テンポの速さ」が話題になります。
私自身、ザ・シンフォニカの演奏会で5年半前に演奏しましたが、指揮の三石精一先生は「酒井催促を目指す」と話していました。
きのうもかなりの速さでしたが、N響は当然ながら一糸乱れず、見事な演奏ぶりでした。

2曲目はラフマニノフの最も有名な曲。
(これも5年半前の同じ演奏会で弾きました。)
ソリストのゲニューシャスはまだ20代ですが、とても落ち着いていて、よく「うたった」演奏でした。

最後の「白鳥の湖」は、バレエだけでなく演奏会でもいろんなバージョンで演奏されますが、きのうは「抜粋版」ということで、バレエでしか聞かない曲も含まれていました。
各楽器のソロも、オケ全体も、とても明快で引き締まった好演でした。

ちなみに、チャイコフスキーの指定通りコルネットが使われていたことや、シンバルが座ったまま叩いていたことなどが目に留まりました。
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ダイナミックレンジが広くすべてがクリアでした【ムーティ指揮シカゴ響を聴く】 [音楽・楽器]

今週は演奏会を3つ聴きに行くのですが、きのうは世界最高峰のオケの1つ、シカゴ交響楽団を聴きました。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
シカゴ交響楽団 2016年日本公演
日時:2016年1月19日(火)午後7時開演
会場:東京文化会館(東京・上野)
指揮:リッカルド・ムーティ(音楽監督)
曲目:プロコフィエフ 交響曲第1番ニ長調「古典交響曲」
   ヒンデミット 弦楽と金管のための協奏音楽
   チャイコフスキー 交響曲第4番へ短調
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

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一言で言うと「いいものを聴かせてもらった」という感じ。
ヨーロッパのオケとはまた違う「機能性」のようなものを感じました。

シカゴ響といえばパワフルで技術的にも穴のない「世界一」とも言われる金管楽器群ですが、弦楽器も木管楽器も打楽器もすべてが極上でした。

東京文化会館のデッド(響かない)音響とも相まって、すべての楽器のすべての動きがクリアに聞こえました。
そして、ダイナミックレンジ(音量の幅)の広さにも驚かされました。
金管楽器の咆哮する強奏の部分も荒っぽくならないし、「p」(ピアノ)のところも完璧にコントロールされていて、ホールの隅々まで聞こえる感じ。
テンポの揺らし方(変化のつけ方)がやや「古風」な感じもしましたが、それも巨匠・ムーティならではでしょう。

そういえば、ステージ上では「ひな壇」を使ってませんでした。
私は3階席だったので関係ありませんでしたが、1階席からだと管楽器が見えにくかったのではないでしょうか?
それと、ヴァイオリン・ヴィオラの3分の2が女性だったのですが、その女性の大半(3分の2くらい?)が東アジア(日本、韓国、中国)系でした。
金管楽器には女性はほとんどいない(女性が1人だけ)で、アジア系もいなかったと思うのですが、やはり体力的な理由なのでしょうね。

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今年最初の本番は3連続チャイコフスキーの2回目【霞ヶ関フィル賛助出演】 [音楽・楽器]

去年最後の演奏会(出演)本番は11月の多摩管弦楽団演奏会で、チャイコフスキーの交響曲第1番を弾きましたが、きのうは今年最初の演奏会出演でした。
曲はチャイコフスキー交響曲第5番など。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
霞ヶ関フィルハーモニー管弦楽団 第15回記念演奏会
日時:2016年1月16日(土)14:00開演
会場:新宿文化センター大ホール(東京・新宿)
指揮:高橋隆元
曲目:ウェーバー 歌劇「魔弾の射手」序曲
   モーツァルト 交響曲第40番ト短調
   チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

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【午前中のリハーサルの様子】
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霞ヶ関フィルは初めてエキストラに呼んでいただきました。
ご多聞に洩れず、コントラバスの団員が足りないそうで、きのうは4人ともエキストラでした。
でも全員知り合いなので、楽しく弾くことができました。
【ステージ上のコントラバスとLionbass】
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新宿文化センターは何年か前にもステージに乗りました。
【新宿文化センターのステージ床板】
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本番は盛り上がって、それなりにいい演奏だったのではないでしょうか。
来場者が900人くらいで、このオケとしては過去最高なのだとか。

やはりチャイコフスキーは人気があるんでしょうね。
アマチュアオーケストラが演奏する曲目としてもベスト3に入るそうです。
(ほかの2曲はベートーヴェン交響曲第5番=通称「運命」とブラームス交響曲第1番。)

なお、私の次の演奏会予定は2月28日のザ・シンフォニカ第59回演奏会
3連続チャイコフスキーの締めくくり、交響曲第4番ほかです。
sym59_omote50%.jpg
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《旅の総括》『フィンランドの歴史』について【2015欧州3カ国旅行記(37)】 [旅行・乗り物]

「《旅の総括》『ベルリンの歴史』について【2015欧州3カ国旅行記(36)】」から続きます。

ポーランドが周辺の大国に侵略・支配されたこと、ベルリンが「壁」により分断されるという「冷戦の象徴」であったことについて書きましたが、フィンランドも実は「外国」に支配された歴史があります。

その「外国」とはスウェーデンロシアです。
フィンランドは12世紀ごろから19世紀初めまでスウェーデンの支配下にあり、続いて19世紀からはロシアに支配されました。

現在でも、フィンランド国内の案内標識などは、スウェーデン語とフィンランド語の2つの言語で書かれています。

首都ヘルシンキのシンボル、白亜のドームが印象的なヘルシンキ大聖堂は、プロテスタントの教会ですが、スウェーデンに支配されていた時代にプロテスタントが広まったそうです。
IMG_4432大聖堂.JPG

一方、そこから数百メートルの場所にあるウスペンスキー大寺院はロシア正教の教会。
ロシア国外にあるものとしては最大ということです。
IMG_4435ウスペンスキー寺院.JPG

この2つの教会が、スウェーデン支配時代とロシア支配時代を象徴していると言えるのではないでしょうか?

フィンランドの「第2の国歌」とされるシベリウス交響詩「フィンランディア」が作曲されたのは19世紀末のこと。
フィンランド人のナショナリズムの盛り上がりがシベリウスの創作活動にも影響を与えたそうです。
IMG_4418シベリウス.JPG

しかし、ロシアの支配から脱するには1910年代のロシア革命と第一次大戦を待たねばなりませんでした。

そして、第二次大戦後、フィンランドは経済体制としては資本主義を採用したものの、NATO(北大西洋条約機構)には加盟せず、ソ連の意向に真っ向からは反対しない(できない)状況が続きました。
「フィンランド化」という言葉があって、こうした状況(資本主義だが共産陣営の影響下にある)を指します。

まさに、フィンランドが置かれた難しい立場を象徴していますね。

そういえば、フィンランド人はアジアから興ったフン族の末裔という説もあるようですね。
現在のフィンランド人がアジア人的な部分を持っているかどうかと聞かれれば、ほとんど確認できないという答えになるようですが…。

(つづく)
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《旅の総括》『ベルリンの歴史』について【2015欧州3カ国旅行記(36)】 [旅行・乗り物]

《旅の総括》『ポーランドの歴史』について【2015欧州3カ国旅行記(35)】」から続きます。

歴史上たびたび侵略され、周囲の大国に支配されてきた「ポーランドの歴史」に続いて、「ベルリンの歴史」編です。
ドイツは、ポーランドなどから見ると侵略したり支配した側ではありますが、ベルリンという都市としてみると、冷戦期を中心に歴史の荒波に揉まれてきた歴史があります。

こちらは東西統一のシンボルとなったブランデンブルク門
統一前は壁のすぐ東側にありました。
IMG_4150ブランデンブルク門.JPG

すでに書きましたが、ベルリンを訪れたのは25年ぶりでした。
前回の訪問は1990年の夏休みで、前年に壁が崩壊し、東西間の通行が自由になっていましたが、正式な統一はまだでした。
ベルリンでレンタカーを借りて、ハンブルク、ブレーメンなどを回って、フランクフルト空港まで車で回りました。

「壁」は1961年に建設され、89年に「崩壊」したわけで、存在していた期間は28年。
これが「長い」と感じるか「その程度だったのか」と思うか、いろいろあるでしょう。
その間、「壁」を越えようとして命を落とした人は百数十人と、そんなに多くはないものの、逮捕者は数千人に上るということです。

「壁」崩壊から今年で27年になりますから、実は存在していた期間とほとんど同じです。
しかし「壁」(=「分断」)の後遺症は今でもあちこちでみられるようです。

その「壁」ですが、ベルリン市内には「歴史の証人」としてあちこちに「実物」が残されています。
こちらはマウアー通り。
IMG_4139マウアー通り壁.JPG

こちらはベルナウアー通りの「壁」。
住宅街の中にあることで、その「異様さ」が際立つような気がします。
IMG_4171壁.JPG

こちらはシュプレー川沿いにある「イーストサイド・ギャラリー」という場所。
このブレジネフ書記長(ソ連)とホーネッカー議長(東ドイツ)のキスの絵は有名です。
IMG_4180ブレジネフホーネッカー.JPG

こちらは「戦勝記念塔」
IMG_4365戦勝記念塔.jpg

デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争という3つの戦争の勝利を表しているそうですが、ヒトラーがさらに段を増やす計画もあったのだとか。

ドイツは、ヨーロッパの国々にたびたび侵攻し、第一次、第二次の両世界大戦で敗戦国となりました。
自分たちにも責任があるとはいえ、市民は歴史に翻弄されてきました。

現在、ドイツはヨーロッパにおいてますます存在感を増しています。
共通通貨ユーロの危機や、難民問題などで中心的な役割を求められています。

今回の旅行中も、そうした問題の一端を垣間見ることになりました。

(つづく)
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《旅の総括》『ポーランドの歴史』について【2015欧州3カ国旅行記(35)】 [旅行・乗り物]

「《旅の総括》『音楽』について【2015欧州3カ国旅行記(34)】」から続きます。

去年9月の旅の総括は「交通と宿」「音楽」に続き「歴史」ですが、まずは「ポーランドの歴史」について。

「ポーランド」という国名は「平原の国」という意味だそうですが、西にドイツ、東にロシアという強国・大国に挟まれて、歴史上、たびたび侵略を受け、支配されてきました。

前回も触れたポーランドが誇る「ピアノの詩人」、ショパンは1810年にワルシャワ近郊で生まれました。
まだベートーヴェンが存命・活躍していた時代です。
ショパンは20歳の時にワルシャワを離れ、その後は一度もポーランドに戻りませんでした。
当時ポーランドは実質上ロシアの支配下にあり、ショパンが出国した直後の1830年11月にロシアに対する反乱が起きましたが、鎮圧されました。
ショパンは帰国して反ロシアの動きに加わろうとしたものの、家族や周囲の説得により思いとどまったということです。

写真はワルシャワにあるショパン博物館ですが、この中にも、こうしたショパンの経歴・足跡に関する展示がありました。
IMG_3865ショパン博物館.JPG

ポーランドでは19世紀中になんども反乱が起きますが、そのたびにロシアやプロイセン、オーストリアなどにより鎮圧されたそうです。

その後、20世紀に入って第一次世界大戦の結果、ポーランドはようやく独立。
私の楽器"Lionbass"のラベルにある「1922年」は、ポーランドが独立国としての地位にありました。

しかし、ナチスドイツが1939年9月にポーランドに侵攻。
第二次大戦の口火を切りました。
ポーランドの国土はドイツ、ソ連、リトアニア、スロバキアの4カ国に分割占領されました。

市民はナチスの弾圧に苦しみ、多くのユダヤ人が(そしてユダヤ人以外のポーランド人も)強制収容所に送られました。
ポーランド国内にはナチスの収容所が何カ所も造られました。
下の写真はルブリン市内にあるマイダネク収容所です。
IMG_3922マイダネク収容所.JPG

そして、大戦末期の1944年8月、ワルシャワ市民はナチスドイツに対して蜂起しました。
当時、ナチスドイツは長引く戦争で戦力が低下。
一方、東からワルシャワに迫りつつあったソ連軍は、ポーランド国民に対しドイツに対する反乱を呼びかけていたそうです。

この「ワルシャワ蜂起」は当初は戦果をあげていましたが、ドイツ軍は態勢を立て直して反撃。
蜂起軍の旗色は次第に悪くなっていきますが、当てにしていたソ連軍の加勢は得られませんでした。
これは、すでに戦後の勢力争いを見越したソ連軍が、戦力温存のために事態を傍観していたためだといわれています。

そして、蜂起が鎮圧されると、ナチスドイツは「懲罰」としてワルシャワ市街を徹底的に破壊しました。
こうした歴史は「戦場のピアニスト」など多くの映画の題材となっています。
戦場のピアニスト [DVD]

戦場のピアニスト [DVD]

  • 出版社/メーカー: アミューズソフトエンタテインメント
  • メディア: DVD


下の写真はワルシャワの市街地ですが、そのほとんどは大戦で瓦礫と化していたものを戦後に修復したものだそうです。
IMG_3849ワルシャワ旧市街.JPG
IMG_3885ワルシャワ旧王宮.JPG
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第二次大戦後は、事実上ソ連の支配下で共産主義体制が続きましたが、1980年代に「自主管理労組『連帯』」が台頭して、冷戦終結の前触れとなりました。

19世紀と20世紀に限っても、ポーランドが経験してきた歴史の過酷さは想像を絶するものがあります。

このブログには政治的なことは書かないことにしているんですが、「外国から侵略される」ということの意味を考えざるをえないですね。

(つづく)

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